姫路大空襲目次

手柄山戦没者慰霊塔です

戦没者の慰霊塔が兵庫県姫路市にあります。
悲しい哀しい体験を紹介することが 本当の平和を祈念することになるのではないでしょうか。


以下、座談会形式、体験談形式での戦争体験を紹介しています。
また、当時を無言で語る写真なども入れておりますのでご覧下さい。


                   ・座談会

                   ・「川西航空機製作所」空襲編

                   ・焼夷爆弾空襲編   1

                   ・焼夷爆弾空襲編   2   

                   ・川西航空機・焼夷爆弾・両空襲編       1

                   川西航空機・焼夷爆弾・両空襲編       2

    下の写真は現在の姫路駅前周辺の様子を比較したものです。

左が空襲の数ヵ月後の様子。

駅前付近には次々とバラックの店が建ち、闇市が日増しに広がった。
焼け出された多くの人々は、食物や生活用品その他のあらゆる物資を求めてここに殺到し、 手当たり次第に買いあさったのだった。

ラジオが「赤いりんごにくちびるよせて・・・・」と流していた時代です。

右が現在(今からではだいぶん以前ですけど)の様子です。

    

これは当時の空襲で廃墟と化した姫路駅前周辺の様子です。

 

  矢印の建物は現在のOS劇場です。 当時は南座といったそうです。

 昭和20年7月3日から4日にかけて焼夷爆撃された姫路市はたちまち炎上し、 
200名近い人命を失い、一夜にして文字通りの焼け野原になった。
 その中に点々と残ったコンクリートの建物や土蔵も、ほとんど火が入って無残な姿だったそうです。

 

  焼け出された人々の多くは、それぞれ近郊の親類縁者を頼ったが このように焼跡に古トタンや木切れを集めて

掘立小屋のような仮住居を建て、雨露をしのいだ人達も多かった。写真の左後方を山陽電車が走っている。

  焼跡のガレキや土を整理する為に、市内の十二所周辺、二階町筋にはレールが敷かれて貨車が往復していた。
  こういうことは今となっては知る人も少なくなっています。

手柄山からの姫路市街です

  手柄山から見た姫路市街の様子です。手前に走っているのは新幹線です。
  戦争で焼け残ったおかげで、世界文化遺産の姫路城を見ることができます。

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