2007年7月6日 金曜日 有給休暇を取って九重(ここのえ)夢大吊橋へ行きました。

この辺がツアーの良い所ですが、寝ていても飲んでいても、勝手に連れて行ってくれるのです。

当日、九州熊本地方は大雨洪水警報が発令されていて、まともに橋を渡れるかどうか不安でしたが、どうにか渡る事が出来ました。
右横に見えるのは百選の滝「震動の滝」(雄滝)です。(左端に見えるのは雌滝です) 雨のせいでしょう・・・・・・・大変な水量です。

合成しています

雨上がりで、震動の滝の滝壺の辺りは水煙で見えなくなっていますが、この後すぐに水煙は消えました。
左端の滝から途中二つの滝があるので、合計4っつの滝がある事が分ります。

この振動の滝には滝龍神伝説があります。

昔々、この震動の滝には年老いた龍神が住んでいました。
年々、神通力が衰えてきた龍神は、不老長寿の薬として若い女を食らう事にしました。
釣に事寄せて、北方部落の、ある里人を招き寄せ、「お前の娘を差出せ。さもないとお前を食べるまでだ」と迫ったのです。
里人は恐ろしさのあまり、娘を捧げる約束をして逃げ帰りました。
が、約束を果たさずにおりますと、龍神は怒って、神通力で部落の底を抜いて水を干上がらせてしまったのです。

田畑の作物は枯れ、井戸水も無くなり、部落は大旱魃(かんばつ)に見舞われました。
さらに、龍神は最後の力を振り絞って断崖をよじ登り、部落に火を吹き始めました。
この時、村の娘は一計を案じ、部落総出で懸命に詫びて、不老長寿の薬として「餅」を捧げて龍神の怒りを鎮める事が出来ました。

この時から、天災や大火の度に、部落では餅を滝壺に捧げて龍神の機嫌を伺う習しとなりました。
その後、部落の難儀を見かねた日田代官の塩谷大四朗によって、
天保3年、千町無田より水路が設けられ、昔のように稲を作る事が出来るようになりました。
その水路記念碑は北方部落の白鳥神社の境内にあります。
龍神が岩や木を掻きむしって這い登った跡が、白鳥神社の側に残り、「龍神崩え」又は「白崩え」と呼ばれて今も里人に恐れられています。

迫力があります 神様として扱われています

謂れ(いわれ)の書いてある看板?の中に描かれている龍神の絵と、石で作られた龍神像です。

 

緑の中に堂々と流れ落ちます。雨上がりなので凄い水量ともやがかかっています。

 

着いた時には小雨が降っていましたが、カッパを着るほどの事ではありませんでした。

吊橋の上ではなかなか三脚を立てることが出来なかったのですが、一瞬 間ができたのでツーショットを写す事も出来ました。

全景を写したツモリです 

     これでは吊橋だということを分っていただけませんから・・・・・・失敗ですね。

 

ところで、私達が泊まった旅館は、大分県と熊本県の県境にまたがって建物が建っているのです。
手前は「おてもやん」の熊本県で、向こう側は「吉四六(きっちょむ)さん」の大分県です。

ワンコ2号おまちかねの夕食ですが、 これだけ出れば不満はありません。(ワンコ2号)

明日は、阿蘇山:大観望から高千穂渓谷の百選の滝真名井の滝を目指します。

 

 

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