2006年8月27日 日曜日 岡山県の「琴弾の滝」と「井倉洞」へ行きました。

岡山県の琴弾の滝に来ています。 岡山県と言っても兵庫県からすぐのところ「和気」にあります。

  

最近はスローシャッターに挑戦していますが、これもその一つです。

ここから井倉洞までバスで移動します。(バスツアーで来ているのです)

その前にお食事です・・・・・これがないとワンコ2号に叱られます。
サイコロステーキ・アナゴご飯・2色お蕎麦etc・・・・・・・ ツアー料金の割りにまあまあの内容でした。

記念写真を写しておきました 

さすが岡山県です・・・いたるところで桃太郎が登場します。

 

ご飯を食べると井倉洞までウトウトしながらバスに揺られていきます・・・・・ 気が付いたら到着していました。

 

そして、ここにも滝がありました・・・・・右の写真は左の滝の裏側から見ている様子です。

井倉洞内の様子は全てボケてしまっていたので、一枚もアップできません。

 

代わりにワンコ2号をアップしました?

 

戦国の世、元亀・天正の頃、この里に「茂作」「阿里左」という、恋仲の若い二人がいました。

高梁(たかはし)高松城主の次女鶴姫が井倉峡へ紅葉狩りに来た時に、その凛々しい姫君の姿に茂作は心を奪われ、「自分でも一城の主になれば鶴姫を妻に出来る」と夢を追い、阿里左を捨て姿を消してしまった。

阿里左は「きっと戻ってくる」と待ちわびたが、茂作の消息は絶えたままだった。
生きる望みを失った阿里左は井倉峡の舟隠しの淵へ花の命を投げてしまった。

里人は悲恋の乙女を憐れみ、淵の上に小洞 を祀り「阿里左の宮」として春秋に祭りをし、
今も「縁結び様」として若い人達の信仰を集めている。

後に、鶴姫は児嶋常山城主に嫁いだが、城が毛利の大軍に攻め滅ぼされた時、女性軍を指揮し、奮戦自害し、戦国史に女性軍の戦いとして勇名を留めた。

一方、茂作のその後は誰も知らない・・・・・・。

 

 

ここには、このような謂れのある「縁結びの神社」があります・・・・・・・ 我と思われん方はどうぞお参りしてください

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送