2006年6月3日 土曜日 兵庫県の北の端 香住町の「餘部鉄橋」を見に行きました。

無事に写っていました

この鉄橋は明治45年(1912年)3月1日開通で、建築様式はトレッスル方式です。
2年の歳月をかけ、33万1千余円の巨費と延べ25万人の人夫を投じて完成されました。  ( 鉄橋の試運転日は明治45年1月28日)
高さ45.1メートル 長さ309.41メートルの規模は、当時東洋一のデビューで、 現在トレッスル方式鉄橋では日本一の規模を誇っています。

 

昭和61年12月28日の 午後1時25分頃 、回送中の下り和風列車「みやび号」が餘部鉄橋中央から脱線転落して鉄橋下のカニ加工場を直撃。
従業員の主婦5名と列車車掌1名の尊い生命が 奪われ、 6名が重症を負うという未曾有の大惨事が発生した。

列車転落事故は明治45年に鉄橋完成以来初めての惨事で、遺族や関係者にとって深い悲しみは言語に絶した。
二度と事故を繰り返さないように慰霊碑を建立しようと、遺族一同の呼びかけで関係者があい集い
犠牲者の慰霊とご冥福を祈り、人々の永久平和と全ての交通安全の願いを込めて現地に聖観世音菩薩像を建立しました。

列車転覆事故の慰霊観音像です

上の文章は、原文では「悪天候のせいだ」と言わんばかりの表現なので、意味が分りやすくするためちょっと直しました。

実際はかなり大きな壁画です

餘部駅建設に従事する地元の子供たち

明治45年3月に山陰本線が開通しても、ここには長い間 駅がありませんでした。
餘部の人々は駅が出来るまでは、香住・浜坂方面に行くには餘部鉄橋を渡り、4つのトンネルを抜けて「鎧駅」 まで歩いて行かねばなりませんでした。
そこで昭和33年、餘部小学校の児童などが当時の坂本勝知事宛てに駅の設置を願う手紙を書き、これが餘部駅設置の大きなきっかけとなりました。
駅の建設が始まると、餘部の子供たちは、大人と力を合わせて海岸から石を運び、駅までの道やホームを造り上げました。
そして、翌年の昭和34年4月に念願の餘部駅が完成したのです。

急坂です 思い入れがあります

これが餘部駅まで上がっていく道です。   下から45メートル以上あるのですから、かなりキツイ勾配です。

撮影ポイントが表示されています 撮影ポイントで写しました

餘部駅は非常に親切な駅で、写真を撮りに来られた人が困らないように案内図があります。
「写真撮影ポイント」と地図の中に表示があるのが分かってもらえるでしょうか?

6月2日、当日は12時前に餘部駅に到着しましたが、電車が通る時間には小1時間ほど間がありました。
その間に撮影ポイントでの場所取りをしてから記念写真を写しました。そして、本命の列車がこの鉄橋を通るのを待ちます。

午後12時40分に下りの普通列車が通ると、その7分後12時47分に上りの普通列車が通ります。

 特急「はまかぜ」です

普通車が通り過ぎると特急「はまかぜ」が来ます。13時4分です。
あっという間に通り過ぎるので急いで写さねばなりません・・・・焦りますよ。
とにかく写して、さあ帰ろうと急坂を下りていくと、またまた列車が通過するのです!!

臨時列車でしょうか・・・・・?  フォトショップで加工しました。

電柱がじゃまをしていますが、しょうがありません・・・・・・あわてて写したのです。
電車が走っている様子を下から写せたので「良し」とせねばなりません。

さあ、本当にこれでおしまい・・・・・今から食事に行きます。  その前に餘部鉄橋の全景を入れます。

鉄橋の下には駐車場もあります

午後2時、遅い昼食は香住町で食べました。

自発的にアピールしています

味処「喜いち」です。

 

お薦めは刺身定食でしょうか

ボリューム満点で新鮮でしかも安いのです!!  1200円

「喜いち定食」は 880円です・・・・・・・。

 

香住へ行かれましたら是非寄ってお食事をして下さい。

 

今日は私の拙い社会科の授業に付き合っていただいてありがとうございました。

2006年秋から架け替え工事が始まり、完成は5年後だそうです。
どうぞ無事故で工事が完成することを祈念してこの旅情報を終わります。

 

 

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